初めて身体に針を刺したのはいつの事だったろうか。

乳首に痛みを与えるのが気持ちいいと感じてから、刺激はどんどん物足りないものになり、クリップ、洗濯ばさみ、ペンチを経て、針を突き刺す事を思いついた。

ピアスの穴をあける時を参考にして、針はアルコールで消毒し、化膿止めの薬を付けて、乳首に突き立てた。

自分の肉は思ったより堅く、強い抵抗があった。

その痛みは・・・痛みではない、甘美な刺激は皮膚の上から与える事のできるものの何倍もの強さを持って、私を濡らした。


私は、私の雌の器官を愛している。


乳房と女性器があって良かったと思う。
快楽は私を慰めてくれる。

私がどんなでも、いつでも、私とともにある器官は私を裏切らない。


私の私自身への刺激は激しさを増し、快楽は私と雌の器官とのつながりが幸せである事を確認させてくれるように、大きくなっていった。

私の乳房には、無数の針が刺された。
乳首は、その芯を通るように針が刺され、最も敏感な神経を傷つけるようになった。

最初、女性器への責めには抵抗があった。
乳首よりも痛みが快楽と結びつかなかったからだ。
しかし、自分の身体が傷つけられるのを見る快楽を知ってしまったときには、もう軟らかな肉には幾本もの針が刺され、針の先端は体の中の敏感な神経を探り当てるのに夢中になっていた。
私は、身体に針を刺したまま生活してみた。

乳房、女性器に入れられた針は動くたび、歩くたびに私を苛み、雌の器官が壊れてしまうのではないかという不安や、現実にあふれてくる血が、私に目がくらむほどの陶酔感を与えた。


私は壊れている。


もう、普通の生活は送れない。
今も、ズキンズキンと、脈うつたびに乳房や女性器が刺激を告げる。

自分で針を突き通した女性器を公共の場で密かにさらし、誰かが見てくれないかと、見てくれた誰かが自分を想像もつかないような世界に連れて行ってくれないかと妄想している。


だが、妄想は妄想だ。
心の底のどこかで、そんな事は起こらないのだろうと安心している部分がある。
自分には最悪の事態は起こらないのだろうと。
だからこそ、自分はこんな事ができるのだ。
本当に破滅につながるような事は怖くてできない。


しかし、私は。
私の雌の器官から流す、マゾヒストの血の匂いがすでに嗅ぎつけられていて、もう逃れられない運命にある事にまだ気付いていなかった。